今昔の歴史と文化 暮らしが織りなす、国内随一の近世港町「鞆の浦」

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プロローグ

今日は楽しみにしております。
何はともあれ、ラジ関。

はい、ラジ関。ラジオ関東。古いですね、話が(笑)。
今はね、ラジオ日本という会社になっています。

そうです、そうです。私がですね、佐渡島の生まれなんですよ。
東京の話題が欲しいときには、テレビが家にはないですから、ラジ関を聞いて、小林さんの話を聞いて、そしてアメリカって何だろうかとか、自分の知らない世界観を拡げてですね。唯一の窓口なんですね。
それから、こう(小林さんの)低音のこの良い響きがですね、僕の後ろにある色んなものを作ってくれたんじゃないかな。

その頃はアーティストとして仕事を?

いえいえ。

中学校、高校?

中学、高校っていうよりも。
アーティストになったのは全然遅いですよ。

そうなんですか。

高二の終わりぐらいから。まあしょうがないかな、やるか、みたいな。
それまでは全然アーティストに興味なかったですね。

しょうがないからっていうのが良いですね。

そうそう。そうなんですよ。ほか色々やったんですけど、まあこれかなっていう。

だけど何かやる前に、僕は、それは人生の後半で分かってくるわけですけど。
元々イメージみたいなものがあるんですよ。イメージが無ければそっちに行っていない。

もちろんそうです。そうそう。

だからこうやって話をしていて、今日もお話ししますけど、イメージっていうのが無いと本当の良い話とかにならないですよね。

それに、お互いに世界観が違うところの中から、ひとつの山の山頂に到達すると気持ち良いですよね。

そうですね。

その終わった後の下り坂が気持ち良いですよね。

その言い方、僕初めて。独特ですよその言い方。うわあ、良い言い方ですよね。

だってそう、もう一度反復できるじゃないですか。もはや自分のものにさせてもらえるみたいな。

なかなか、Expressionがあっていいかなと。ちょっとやられましたね。

いやいやいやいや。どっかでそういう使われ方を聞いて。

そういう風な感覚っていうのを今ちょっと初めて聞いて。そうだ、そういうものは下降って言うんだ、っていう。

先ほども言いましたけれども、微かに夜聞いた、あー小林さんだ!っていう嬉しさみたいなものがあって。

僕もすごいラジオっ子だったから。
子供の頃は。僕は昭和16年生まれなんですけど、子供の頃はラジオがおもちゃだし、なんでもラジオが入口でした。

聴覚はそういう意味で非常に大事ですよ。聴覚から視覚にもってきて、視覚から今度は造形に。
物語性をまた新たに展開して。そういうのが一番できるのは芸術家だなと思っています。(※1)
こうやって言っていたら、こんな所に座っている訳ですけども。
(※1:宮田亮平氏は金工作家としても第一線で活動されています。)

だけどそれは終わりではないでしょう。こんなところに座っているというのは。

そうですね。全然終わりじゃない。

いま(声の)ボリューム、凄かったですよ。「そうですね」って。 それから僕がインタビューしたアーティストはアメリカとかイギリスだとか、色んな国の音楽を作る人。

僕はちょっと違うのは正体を突き詰めようとする訳ですよ。この人ってどういう人間なんだろう。
ああいう音楽が出来るのは、これは何なんだと。

だから、(今日は)正体を突き詰めようとしますから。長官の正体を。(笑)