今昔の歴史と文化 暮らしが織りなす、国内随一の近世港町「鞆の浦」

先人達の積上げた
歴史が息づく港町

福山市鞆町重要伝統的建造物群保存地区、鞆の浦には、中世の骨格を引き継ぎ江戸中期までに整えられた地割や、江戸時代からの伝統的な町家が石垣等の石造物、港湾施設等と一体となって良好に残っています。瀬戸内の港町として、山沿いから海に向かって中世から近現代までの街区が、まるで年輪のように集積しています。

明治24年の山陽鉄道の開通等陸路の発達により、廻船業は衰退を余儀なくされましたが、鉄鋼業や醸造業(酢・薬酒等)、製造業(漁綱、漁具等)更には観光業が町の経済を支えています。千年に及ぶ港町の歴史空間を巡る体験ができる点は、全国的にみても貴重であり、そこに建てられた建造物群も独特で、我が国にとって価値の高いものです。

昭和2年頃_医王寺から見た仙酔島

鞆の浦1000年のあゆみ

古来から瀬戸内海は、我が国の輸送の大動脈でした。その中央に位置し、満ち潮が出会い、引き潮が分かれていく場所に必然的に生まれた港町が鞆の浦です。周辺の島々と共に成す海域の美しさは「鞆の浦」として万葉集にも歌われていますが、中世の頃までの鞆の浦は、城山(現・福山市鞆の浦歴史民俗資料館)の北側には深く湾が入んでいたものと推測されます。

平安後期頃から、東アジアとの貿易や貨幣経済の進展によって日本各地で港町が発達します。鞆の浦でも、市街地の一部が鎌倉時代末期までに形成されました。現在の場所に遷座した祇園社(現・沼名前神社)の門前から関町にかけてが、鞆の浦の中心市街地でした。

鎌倉後期に、現在の鞆の中心・城山の南側に町並みが造られ始めました。室町時代、日明貿易を中心に港はさらに発展し、問丸や船主が居住しています。

毛利・福島時代には、城山に鞆城が築かれましたが、一国一城令で廃城になると、鞆の浦は港を中心とする商業、鍛冶業、保命酒等の酒造業、漁業を生業とする人々で賑わう町になりました。
朝鮮通信使を始めとする各種公使や、瀬戸内海を行き交う様々な人が立ち寄り、多くの見聞録が残されています。

近代以降、戦後しばらくの間までは、機帆船が活躍し、港町としての繁栄が続きましたが、山陽本線の開通と自動車交通の発展で、1000年に及ぶ港町の繁栄も終止符が打たれました。今は、古い町並みや港湾施設が、昔の時空間と暮らしぶりを伝える貴重な町として再評価されようとしています。

元禄絵図沼名前神社(古地図)

享保古地図(古地図)

屏風図 (古地図)

文化絵図(古地図)

重要伝統的建造物群保存地区

中世の町家の伝統を引いて、間口が極めて狭い平入の町家が密集し、その中には17世紀の町家や太田家住宅(重要文化財)などの貴重な町家があります。
京都風の町家でありながら重厚な本瓦葺とし、隣棟間で棟高を揃えないことから変化に飛んだスカイラインを形成しています。
一方で、地元で「オダレ」と呼ぶ前面の下屋は、軒を揃え、表構にブチョウと呼ぶ半蔀や、バッタリと呼ぶ床几を残す家もあり、船板を貼った浜蔵も混じり、活気あふれる景観を形成しています。細い路地の向こうには海が見え、そこに至れば雁木や常夜燈、大波止や船番所などが目前に広がり、近世の港町の景観を体験できます。

江戸時代の町人地のうち、廻船業の中核を成し、近代以降の地割の変化が少なく、江戸時代の町家主屋が寺社、石垣等の石造物、港湾施設などと共に良く残る範囲約8.6ヘクタールは重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

福山市鞆町鞆字西町の全域並びに鞆字石井町、字関町、字江之浦、字道越町、字古城跡、後地字古城跡および字草谷の各一部

道筋には、室町時代に町場が形成されていたと考えられ、短冊型の敷地は、二間を標準として三間以下の狭い間口が多いです。敷地には通りに面して間口一杯に主屋を建て、その背後に中庭を挟んで台所と風呂・便所を設けています。台所の奥には、離れを置き、土蔵を立てることもあります。

隣接地を買い取りながら敷地を拡大した商家は、主屋の脇や奥に増築を行い、敷地を囲い込むように離れや土蔵を増やしました。その代表例が保命酒屋中村家の屋敷を引き継ぐ重要文化財(建造物)太田家住宅で、敷地北西部に白壁の土蔵四棟と釜屋を並べる豪壮な景観です。

太田家住宅朝宗亭(右側)1991年(平成3年)重要文化財指定
鞆七卿落遺跡(左側)1940年(昭和15年)2月23日県史跡指定

太田家住宅 鞆七卿落遺跡 元保命酒屋(中村吉兵衛)保命酒の専売で栄えた

常夜燈と雁木

最大にして唯一の近世港湾施設が残る町

常夜燈の袂から海に向かって階段のように並んでいるのが,船着場として大きな役割を果たした「雁木」です。全長約150m、最大24段もの石段がまるで円形劇場のように見える雁木は、最大約4mにおよぶ潮の満ち引きに関係なく荷揚げができる優れもので、この積み上げられた雁木から莫大な商いの物資と人々が往来し、鞆の浦は港町としての栄華を積み上げました。ひととき腰を下ろせば、石段が一段、また一段と見え隠れし、潮の満ち引きを実感できます。

港の出入口で海に突き出て穏やかなカーブを描く石積みは「波止」と呼ばれる防波堤で、「常夜燈」や「雁木」と並び、国内最大級です。これらに加え、港に出入りする船を見張った「船番所跡」や、船の修理を行った「焚場跡」など、近世港湾に必要とされた5つの施設が揃っているのはいまや鞆の浦だけです。

常夜燈と雁木じょうやとうとがんぎ

常夜燈じょうやとう

船番所跡ふなばんしょあと

波止はと

焚場跡たでば

「潮待ち」が築いた鞆の浦の町並み

常夜燈

鞆の街並み

瀬戸内海の珍しい地形は、潮流の逆転現象を起こします。この潮の分かれ目となる鞆の浦には、潮の満ち引きを待つ(潮待ちをする)多くの船が集っており、この潮待ちこそが鞆の浦を反映させました。常夜燈の前には物資を積み上げる「荷揚げ場」があります。「荷揚げ場」は、いまもむかしも遠来や地元の人々が出会い憩う格好の交流広場。荷揚げした物資を保管していた白壁の大きな蔵が面するその広場から、海を背にして路地に向くと、鞆の浦きっての豪商の屋敷や酒蔵があり、サイコロ目のナマコ壁や古い船板を使った壁など、洒落た意匠を随所に見ることができます。

継承される鞆ならではの祭りと特産品




鞆地区は,景勝に囲まれた歴史ある町並みのなかに,人情味豊かな鞆の浦の住民が港町の伝統文化を息づかせています。

数多くの船で鯛を取り囲み一網打尽とする伝統漁法の「鯛網」や、子どもの成長を願い大きな木馬を引きまわす全国でも珍しい祭り「八朔の馬出し」、さらに海上安全や無病息災を祈願し重さ200㎏もある巨大な三体の松明の火の粉が飛び散る勇壮な火祭り「お手火神事」など四季折々の伝統行事が盛大に行われ、自然と歴史に恵まれた港町の舞台を格別に輝かせています。

また江戸時代、力比べに使った重さ200㎏を超える「力石」の現物見学もおもしろいと評判です。鞆の浦で生まれた薬味酒「保命酒」や名産の鯛や小魚「ねぶと」を使った料理や珍味、練り物なども鞆の浦ならではの楽しみです。

鯛網漁

鞆の浦鯛しばり網漁法

お手火神事 2000年代

お手火神事 1984年

八朔の馬出し

関町秋祭り 昭和30年代

力石

保命酒

地域と日本を元気にする『鞆』




鞆は、江戸時代からの町並みや風情が今も残り「初めて訪れても,どこか懐かしい」日本のふるさとです。しかも、ただ古いだけでなく、この地域ならではのアートが誕生したり、様々な映画やドラマの舞台になるなど、今も新しいものを生み出し続けている貴重な地域なのです。