寄附をする

今昔の歴史と文化 暮らしが織りなす、国内随一の近世港町「鞆の浦」

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第2部

今の燈籠の話で。
僕はね、お袋と鞆おばちゃんっていう先生、お袋は音楽と数学を教えてて。

宮城道雄の「春の海」ってあるでしょ。あれは鞆の、あの人のおじいちゃんおばあちゃんは、鞆で育っているわけです。
で、それを思い出したのが、この「『春の海』は福山の、鞆の海なんじゃあ」ってお袋と伯母がそう言って僕に教えた体験があって。

だからあれは、あの音楽は鞆なんですよ(※3)、僕らにとっては。
銅像あるの知ってる?

(※3:「春の海」は春の瀬戸内海を船で通った折の印象をもとに昭和4年暮れに作曲。宮城道雄氏が鞆を訪れるのは戦後だが、『先祖からの地であり故郷のように思う。』と、随筆「鞆ノ津」に記している。)

はい。見てます。

ほんとかい?

はい。鞆城址、城山の上にある資料館のところに。

いやこの間、鞆に行ってね。
一緒に行ってくれた人に宮城道雄の銅像はここだねって言ったら、知らないんだよ。
誰でも「春の海」は知っている。正月に「春の海」のことを流さないところはないと思うよ。

いや、それでね。この間、RCCという(広島の)放送局で毎年一回特番をやるんですよ、ラジオで。
それで(福山)市長が出てくださって。枝広市長。それで枝広市長は音楽で言うとクラシック系が大好きなんですよ。
それで音楽のフェスを福山で。(福山の)バラ祭りと合わせてやりたいっていう。

草津(温泉)でやってるみたいなね。

そうそう。そいうことをおっしゃったので、ちょっと待てよ、って。
僕は、世界各国の芸術祭みたいなのを、僅かですけど行っていまして、音楽(フェス)をクラシックばかりでやるというのはもったいないことだと。

これは、小林さんがご出身であり、しかもポピュラーソングの。世界共有の言語。それはぜひやっていただきたいなあ。
意外とそういうフェスはないんですよ。

そうそう。ありとあらゆる音楽が目を覚ましていいんですよ。
そのためには、例えばスターをまず呼んでいかなきゃダメだ、みたいな。プロデュース的なマインドがあって。
そうすると福山で、鞆で何か?ということで、注目を集めるじゃないですか。そういう話はちらっとしたんですよ。

それでね、僕はエディンバラ、イギリスのエディンバラフェスティバルというのがあって、あれに野田秀樹の遊民社の一員として参加して。
で、エディンバラにはありとあらゆる芸術が出てるんですよ。で、広場では民芸品も売っていて、僕はついテーブルを買っちゃんたんですよ。そういうものがあるんです。

だから音楽の祭りだっていうと、ありとあらゆるものが参加できて。ニューヨークなんかの音楽フェスティバルだとね、小さなライブハウスもみんな協力して。色んなバンドがいたりとか、その音楽の、なんて言うんですか、道端でやる人間も含めてインボルブしちゃうものになるんですよ。

それを福山でやりたいんですよ。枝広さんと。ちょっと宣伝の話も入れましたけど。

もちろん。あと宮城道雄なんだから。

宮城道雄だからね

「春の海」だからね。正月は誰も聞かないっていうやつはいないんだから。

それが「鞆」の海なんだから。

それで宮城道雄は東京音楽学校の教授でしたから。私、東京美術学校の出身なんで。

存じていますよ。

僕だってちょっと宣伝させて。やはり宮城道雄といえばですね、日本の邦楽史。洋楽ではなくて。邦楽史でなくてはならない人。
誰でも必ず知っている。でも鞆がルーツだってことを知ってる人いる?初めてでしょ?ちゃんとパンフレットにはあるのよ。

だけどね、銅像には「宮城道雄像」としか書いてないんですよ。

だめですよね。例えば、この(日本遺産のPR)ビデオも「春の海」から音楽を活かすべきですよね。
で、ナレーションも小林克也を使う。

せっかく小林さんいるんだから。海外(観光客)の方も3,000万人ってなったら、のっけのナレーションは英語ですよ。
「春の海」がトゥルルルルと鳴って。

「この海を見たくないかい?」ですよね。

それを英語でやったら、もうね。泣くね。

そうでしょ。

うん、そういうコラボする。一個だけじゃなくて、コラボしていって。1+1は3に。これは絶対に。文化や心根っていうのは3から4は必ず要る。

さっきも冒頭に言いましたけど、一つの祭りが整っていけば6にも7にもなっていく。またそれが思い出の地となって、自分の心の中で醸成していくことができる。

それがだんだんわかってきたような。余韻であるし、で、それは1日で終わるものでもないし。

(第3部 ~鞆の逸品・文化~ へ続く・・・)