だから(“保命酒”も“景観”も“鯛の浜焼き”も)あるんですよ。
けどね、それを積極的に自分からやって、空き屋になった家を買ってリノベーションして、そこでまた何かしてやろうという、そういう「よし」を、その第一歩にこの「一口町方衆」というのを持っていかないともったいないよね。
でも必ず英語でお話をしてください。
ええ。
TOMO、と。
で、「TOMO」が『フレンズ』だと。
そうそう。
『フレンズ』という意味があると。そういうね、イメージをね。
小林さんて不思議だよね。日本語でしゃべってるより英語で聞く方がいいよね。
ははは。(笑)だけど、やっぱりあれですね、話広がって。こんな話まとめつけない方がいいんですよ。
そうですね。ちょっと次の展開をみんなで考えましょう。考えましょうじゃない、創ろう、だ。「つくる」もにんべんの「作る」もあるんだけど、創造の“創”で「創る」が綺麗かもしれないですね。
そうね。
あとは、小林様が言われた、鞆の人がやっぱり主体になってまちづくりが進むっていうのをしっかり支えていきたいという風に思っておりますので、それはもう実行あるのみです。
そのためのある程度の資金提供みたいなものが必要なんですよ。竹原とかね。いわゆる塩旦那、浜旦那がいたりとかさ。そういう風なとこと(倉敷と竹原の)ちょうど隙間にあって、“ほっこら”した状態なんだよね。だからそこをもうちょっと、(商人のまちに)持っていけるといいよな。
ということで、最後は、すごい結論が出ました。
そうですね。今住んでおられる方とか、今後住まれる方に対するエールも含めて、幅広いお話をいただいたかと思います。
例えば、日本でそういうようなイメージ持ってプロデュースする人が、鞆へ行って、鞆を有名にしたいと。恐らく僕の頭の中には、この人、この人、この人といるけど、10憶とか、何十億だって(寄附を集めるから)俺にプロデュースさせてくれって、言いますよね。喜んでする
と思いますよ。それだけの資産のある、歴史のある。
出し甲斐のある。
僕は佐渡だから。佐渡は残念ながら冬があるんですよ。冬で海でしょう。だから半年しか稼げない。そこがネックなんです。
鞆は恐らく気候的に、あそこら辺でも一番、福山、鞆あたりは、ちょうどいいとこなんです。
できれば、もうそろそろ(思い切って)村上水軍の都市みたいな感じでやってもらいたいですな。
そうよね。
よろしいでしょうか。お時間も来ましたので。
(鞆の)話ならいくらでもね。尽きないよね
また、よろしければ別の機会を設けたいと思います。残念ではございますが、お時間も参りましたので、これを持ちまして特別対談を終わりたいと思います。
(終了)