今昔の歴史と文化 暮らしが織りなす、国内随一の近世港町「鞆の浦」

日本史研究者

呉座 勇一

東京都出身

プロフィール

東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了 文学(博士)
現在、国際日本文化研究センター助教

鞆の浦の歴史的景観を次代に伝えることは、私たちの責務です。ご尽力をお願い申し上げます。

鞆の浦は瀬戸内海の潮の流れが変わる場所で、古代から潮待ちの港として栄えました。たくさんの人が出逢い、別れる鞆の浦では、多くのドラマが生まれました。その中には、歴史的に重要な出来事も少なくありません。

私の専門に引きつけると、鞆の浦は足利尊氏再起の場所でもあります。後醍醐天皇に反旗を翻した足利尊氏は京都で新田義貞らの攻撃を受け、西へ敗走します。尊氏が敗れた原因の1つは、天皇に逆らう「朝敵」の烙印を押されたからでした。そこで尊氏は、後醍醐と対立する光厳上皇から新田義貞討伐の院宣(上皇の命令書)を獲得することで大義名分を確保しようと考えます。建武三年(1336)二月、九州に逃れる途上、鞆の浦に滞在していた尊氏の元に院宣が届けられます。

九州で態勢を立て直した尊氏は、五月に鞆の浦に再び戻ってきます。ここで作戦会議を開き、海と陸の二手に分かれて京都を目指すことにしました。そして湊川の戦いで新田義貞・楠木正成を破りました。尊氏は京都を制圧し、八月には後醍醐天皇に代わって光明天皇を擁立します。これが室町幕府の実質的な始まりです。

時は流れ、天正四年(1576)。織田信長に京都から追放された室町幕府15代将軍足利義昭が鞆の浦に移ってきました。義昭が最初に入った小松寺は、かつて尊氏が宿所とした寺でした。偉大な先祖が逆境に克った地で、義昭は京都に帰還する決意を固めたことでしょう。しかし残念ながら義昭の幕府再興の夢は叶いませんでした。「室町幕府は鞆に始まり鞆に終わる」と言われる所以です。

古い街並みを残す鞆の浦を訪れれば、かつてこの地を踏んだ武将たちに思いを馳せることができます。この景観がいつまでも残ることを願います。