今昔の歴史と文化 暮らしが織りなす、国内随一の近世港町「鞆の浦」

建築史家、工学博士

藤田 盟児

愛媛県今治市出身

プロフィール

【経歴】

東京大学大学院博士後期課程修了

博士(工学)


【職歴】

奈良国立文化財研究所

名古屋造形芸術大学

広島国際大学

奈良女子大学 教授(現職)


【社会的活動】

文化庁文化審議会第2専門調査会委員

広島県・山口県・奈良県・兵庫県の各文化財保護審議委員

福山市・竹原市・呉市・高梁市の各伝統的建造物群保存地区の保存審議会委員

各種文化財建造物の保存修理検討委員会委員

千年を超える長い暮らしが街区に、建物に残されている町を、みんなで守りましょう。

鞆地区には、対潮楼から見える風光明媚な瀬戸内海の風景に代表される景観や、魚行商人に代表される海辺の暮らしに寄り添うように古い町家や寺院が建ち並んでいる。

鞆の町家の中には、江戸時代前期のものもあり、三百年を超える住民の暮らしが積み重なっている。重い本瓦葺の町並みには長屋も混じり、あらゆる暮らしがつまっている。江戸時代の商家の構えである蔀(ブチョウ)を残す店があり、ばったり床几(ショウギ)という折りたたみの腰掛けを付けた家もある。二階は、江戸時代の虫籠窓(ムシコマド)や格子窓から大正時代のガラス戸まで様々な時代の窓が並び、屋根の高さもまちまちで個性を競い合っている。そうかと思えば、一階の下屋(オダレ)の高さは揃えられ、町民の共同性も示している。そんな住民の暮らしが息づく町並みの背後に迫る緑の山並みの麓には、重厚な江戸時代前期の本堂が並び、室町時代の禅宗本堂さえ残る。

この長い歴史を積み重ねてきた町は、よく調べると平安時代から現代までの街区が積み重ねられてできている。山麓の街区が一番古くて鎌倉時代にはできていた。その頃は沼名前神社の門前が一番の繁華街だった。ただし、海関の名前を残す関町あたりは、もしかすると平安時代からあったと思われる。町の中心部は室町時代にできたらしく、その頃の道が狭い路地になって町の中を走っている。海に近づくと江戸時代、近代、現代と海を埋め立てて広げられた街区が、まるで年輪のように広がる。

こんなに長い時間、人々の暮らしが積み重ねられ、今も続く町は他にない。この町の景観を保存することは、日本人の暮らしの歴史を保存することだ。みなさんの協力を願って止まない。