プロフィール
1941年(昭和16年)3月27日生まれ
慶応大学在学中よりコンサート司会、DJを始め、DJ、俳優、ミュージシャンとして活動。
毎週金曜は9時間の生放送(FUNKY FRIDAY)をこなし、ラジオ聴取率もNO.1。
名実共に第一人者の責任を果たしている。
【ラジオ】
FUNKY FRIDAY
(FM NACK5)
NACK5 THE BEST HIT USA
6時からドットコム
(BAY-FM)
MUSIC Machine Go!Go!☆
(ニッポン放送)
【テレビ】
BEST HIT U.S.A.
(BS朝日)
BEST HIT U.S.A.
(全日空機内放送番組)
【CD】
「スネークマンショー」アルバム16枚
ナンバーワンバンドとして、「もも」を始めとするアルバム12枚
花咲コバヤシとしてアルバム「シャララ ガーデン」
喜寿記念アルバム「鯛 最後の晩餐」2018.3.21発売
他 多数のゲスト参加アルバム
【映画・ドラマ】
1982年 「逆噴火家族」(主演)
1988年 「リボルバー」
1988年 NHK大河ドラマ「武田信玄」
1989年 「どっちにするの」
1997年 「マルタイの女」
1998年 「学校Ⅲ」
2007年 「ストリングス~愛と絆の旅路~」(吹き替え)
2007年 「Little DJ ~小さな恋の物語~」
2008年 NHK土曜ドラマ「フルスイング」
2009年 MR.BRAIN
2011年 「レンタネコ」
2015年 「永遠の0」
2019年7月上映 「アルキメデスの大戦」
MAKE DRAMA! 観光?暮らす?店を出す? 鞆の舞台であなたのドラマを作って!
子供の頃、母の姉を「鞆おばちゃん」と呼んでいました。
鞆町の小学校で教えていたからです。
「鞆はええトコ?」「アーアええトコじゃ!」
鞆に行ったことのないボクと毎朝「鞆鉄」と呼ばれた簡易鉄道で通勤する鞆おばちゃんとの会話です。
「おまえも、もうすぐ行けるよ、鞆が好きになるよ!」と言っているような笑顔を想い出します。
そして、小学四年生の時の遠足で憧れの鞆まで行くことができました。
しかしバスに始めて乗ったボクは車酔いでボーッとしています。
そんな中、鞆の海の景色がじわっと近づいてきたのです。
「あーこの海なら知ってる。ボクが3,4才の頃よく見た絵本の中の海だ!」
そうです。桃太郎や浦島太郎のお伽話の背景の海です。
とても幼い印象で申し訳ないのですが、美しく浮かぶ小さな島のせいなのか、車酔いのせいなのか、確かに鞆の浦はそんな神話的なオーラを子供に感じさせました。
それから、毎年夏には家族や友人と海水浴に行くようになり、高校時代には鞆から通う数人の友達もできて、成長したボクに鞆の町は青春時代の舞台の一つという「顔」を見せるようになります。
やがて大学のために上京したボクは国家試験を受け、通訳ガイドとして主にアメリカ人の観光案内をするアルバイトを始めます。
戦後20年も経ってない当時はボクが広島県出身だとアメリカ人に自己紹介する時使う「ヒロシマ」のひびきは実にビミョーでした。
ヒロシマを心配するインテリ派とヒロシマを無視する保守派の2つにアメリカ人が割れるのです。
その頃一番親しくしてもらった先輩に北村さん(故人)がいました。
現在の鞆のニュー錦水国際ホテルを短期間経営された方です。
彼の部屋に泊まった時、一晩中その話で盛り上がりました。
「広島にアメリカ人がいっぱいやってくる日が必ず来る。その時はカツヤ、オミャーが連中を福山に連れてこい!」
要するに、丸焼けから立ち直った福山市街と、すぐ隣の江戸時代がそのまま残ったような鞆があるような都市は他にはない。
いやいやこれは日本人にもあまり知られていませんよ。
アレからもう半世紀以上も過ぎました。
シーズンになると広島市は欧米を中心に世界中の人で賑わっています。
みんなキンサイキンサイ鞆にもキンサイ!