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今昔の歴史と文化 暮らしが織りなす、国内随一の近世港町「鞆の浦」

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福山市鞆の浦歴史民俗資料館 館長

通堂 博彰

福山市鞆町出身

プロフィール

昭和25(1950)年3月1日生まれ

キンスイインターナショナルリゾート

ケンザイセンター生田(株)

2011年~
福山市鞆の浦歴史民俗資料館

海があり、山があり、島があり、史実に基づくよう分からん歴史が山ほどあります。鞆の浦で宝探ししませんか。

私は、鞆で生まれ鞆で育ち現在も鞆で暮らしています。同級生は、300人いました。
今の小学生は、1学年20名位です。人口も40年前は、9000人で今は、4000人弱です。
高齢化率も福山市でトップクラスです。

昔を知っている者には、少し寂しい気もしますが、若者、高齢者、それぞれ皆、元気に頑張っています。私も館長として偉そうにしていますが、サラリーマン時代は、仕事、仕事で地元なのに、ろくに鞆の事に関わっていませんでした。事情があって知り合いから、「館長は、何もしなくていいから」と頼まれたのが運の尽き。浅学の館長は、改めて鞆の事を調べると知らない事が山のようにあり、資料館の収蔵庫は、未知の世界で、驚きでいっぱいでした。この2~3年ようやく偉そうに講演会などに出させています。

基本的に鞆の浦は、福島正則によって城下町として整備されました。戦災にあってないので6~7割江戸時代の町割りが残っています。戦前戦後埋め立てされた東側海岸筋から一歩町中に入ると時間の流れが緩やかになります。
江戸時代の港湾施設も5ヶ所も残っています。「常夜灯」「雁木」「船番所」「波止」「焚場」これだけの施設があるのは、鞆だけです。
また、潮待ちの港として古来より「鞆の浦」は時代の舞台に再三登場します。大伴旅人の万葉集、足利義昭の鞆幕府、福島正則の鞆城、三条実朝の七卿落ち、坂本龍馬のいろは丸事件など、数え切れません。

生活の中に歴史が溶け込んでいる町、鞆の浦へ是非、お越しください。